Gary Walker Vocal Coach To The Stars Tokyo

有名人のヴォーカルコーチ Vocal Coach Japan
お待たせしました!レッスン生の募集再開しました!
ゲイリーはペンシルバニア州立大学において

Vocal & Performance voice lessons.

学位を取得ており、クラシック、ポップス、R&B まで幅広くプロとして必要とされるテクニックを身につけたボーカリストでありボイストレーナーです。

また、マイケルジャクソン、スティービーワンダーのボイストレーナーとしても著名なアメリカのセス・リッグス氏にも師事しリッグス氏独特の歌唱法も身につけています。数々のトレーニングから生まれたのがゲイリーウォーカーのレッスンです。
セス・リッグス氏はアメリカのボイストレーナーで、マイケルジャクソンやスティービー・ワンダー等のボイストレーナーとして有名。日本からも多くのアーチストがわざわざLAを訪れてレッスンを受けています。
レッスン内容は皆さまの要望を取り入れます。
1 対1の個人レッスンを原則としていますので、レッスン内容はレッスンを受ける方の要望を取り入れながら決めております。現在プロとして活躍されている方か ら、プロを目指している方まで幅広い層の方々にレッスンを受けていただいております。(尚、レッスンの進行は英語になりますことをご了承ください)
レッスンに興味を持たれた方はお気軽に以下メールアドレスまでご連絡ください。


​学生リスト- Gary Walker 's List of students
堂珍嘉邦 Dochin Yoshikuni
城田優  Yu Shirota
ローラ (モデル)  Rola 
橘慶太  Keita Tachibana


          Zoom Lessons available!

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有名人のヴォーカルコーチ

GARY WALKER プロフィール
幼少時~1990年代
父ジョン、母キャサリンの次男として人口わずか300人からなる炭鉱の町で生を受ける。幼少時代に早くも兄の結成した5ピース・ソウルバンドから流れる音に憧れ、音楽家を志す決心を固める。

小学生ながら兄(ダン・ウォーカー)のソウルバンド「リフレクションズ」に参加。バンドは地元コンテスト「Battle of the Bands」に優勝、ゲイリーは初めてのテレビ出演を果たす。(ピッツバーグWIIC TV 11チャンネル

​Voice lessons, Vocal Instructor

1999年、アメリカで初のフルアルバム「STORYBOOK」を制作。美空ひばりのカバー曲「愛燦燦」、日本の童謡曲2曲を日本語で歌唱。ス ティーブ・ルカサー(TOTO)、スティーブ・ポーカロ(元TOTO)、ポール・ジャクソンJR、アルビン・チーア(TAKE6)らが参加。エンジニアは マイケル・ジャクソン「HISTORIES」及び安室奈美恵、GLOBE等を担当し、クリスティーナ・アギレラへの楽曲提供でも知られるロブ・ホフマン。

運 が好転し、90年のグラミー候補作曲家ラリー・ホワイトに見出される。ラリーの勧めで5人目のビートルズと言われたオルガンプレーヤー、ビリー・プレスト ンのバンドに参加する。ビリーにも才能を認められたゲイリーはビリーの推薦により元ビートルズのリンゴ・スターとビリー・プレストンのバンドメンバーとし て8ヶ月間活動する。 歌手としてMiddlen Texas Symphonyとの共演を果たす。

■2000年~現在まで
楽曲提供が軌道に乗り始め、ポーランド人歌手に楽曲提供を果たし、ポーランドのTop 20にチャートインする。 また、R&B界の大物フレディー・ジャクソンにも楽曲が採用されCD化される。


2002年 米国独立記念日のイベントでWheeling Symphonyと共に1週間のツアーを行う。

2002年 大阪・福岡で行われたメジャーリーグ・ベースボール(MLB)のオールスター試合で、国家斉唱する。

11 歳でバンド「Gary Walker and the All Stars」を結成。中学校入学と同時にゴスペル、クラシック、ブロードウェイ等、彼にとっては未知のジャンルへの挑戦を始める。この頃に黒人男声合唱団 に所属教会(Pane A.M.E. Church)のメンバーとともに最年少で参加。

高校へ進学。クラシック音楽の勉強と本格的なボイストレーニングを開始。ボイストレーナー(講師)は「メトロポリタン・オペラハウス」所属オペラ歌手Murrel Stuzmen氏。高等学校最終学年にてペンシルバニア州立大学に音楽奨学生として迎え入れられる。

ジャズバンド「Jazzmen」にボーカル担当として参加。後にバンドは「Oasis」と改名しジャズからR&Bへと路線変更。Oasisは西海岸のナイトクラブを中心に活動。ジャズ系ソロ歌手としての活躍が中心となる。また、楽曲提供やプロデュース活動を開始する。自身もソロ歌手としてピッツバーグを中心に活動。ラジオ局WWVAの番組へのレギュラー出演を果たす。番組はウェスト・バージニア州のキャピタル・ミュージックホールから毎週生中継され米国、カナダまで放送された。この番組で著名なレイ・チャールズ、チャーリー・プライド、オークリッジ・ボーイズ、Ray Charles, Gary Morris, Brad Paisely

Lee Greenwood、Charley Pride, ジェリー・リー・ルイス等との共演を実現。そして、この頃レイ・チャールズ氏に認められ、後に氏のオープニング・アクトに採用される。

1992年、LL COOL J BAND公演メンバーとして初来日。以来、日本に魅了され、頻繁に横浜、名古屋、大阪、福岡でのライブ活動を行うようになる。

1998年、自主レーベル(CMG)において、あこがれの「美空ひばり」への思いを込めたミニアルバムHeaven Sentを制作。米ABCテレビの長寿番組「General Hospital」挿入歌としても採用される。